【体験談】FIREは病むから目指すな

こんにちは、アダムです。

今日は「FIREは病むから目指すな」というお話。

一昔前にFIRE、セミリタイアという言葉が流行った。

FIRE、セミリタイアとは、一言でいうと「経済的自由を早く手に入れて、若いうちに退職しよう」みたいな感じ。



実は当時、会社で働いていた俺も「とにかく働きたくない!」と腕をぶん回してFIREを目指していた。

そして、貯金が1000万貯まったので一旦仕事を辞めて、1年間くらいはFIREみたいな生活をしていた。



で、その後どうなったかというと、結論、病んだ。笑

ということで、今回はなぜFIREすると病むのか?を実体験も踏まえて話していこうと思う。

「FIREしたいけど、ぶっちゃけ幸せなの?」と気になる人は、ぜひ参考にしてみてほしい。

目次

結論:FIREは病む

ちなみに、当時の俺の思考はこんな感じだった↓

・いや俺は本当に働きたくないんだよ
・なんなら就職した時からFIREしたかったよ
・コミュニケーションが減る?別に0になるわけじゃないだろ
・一人でも寂しくない
・むしろ一人の方が楽
・休日も基本一人で過ごすから大丈夫
・困ったら今はSNSで誰かと繋がることもできる
・今は娯楽もいっぱいあるからFIREしても楽しいはず
・FIREして病んでる人は、楽しみ方を知らないだけだろ
・「働かなくていい生活」が「働かないといけない生活」より不幸なわけない
・好きな時間に寝て好きな時間に起きる、いつどこで何しててもいい、そんな生活最高に決まってんだろ!

ここまで思っていたから「FIRE、セミリタイアしたら心の底から幸せだろう」と思っていた。

そして実際、FIRE生活をしてみた。

結果、病んだ。

自分でも「うそだろ?」と思った。

FIREすると幸せを感じる機会が自然と減る

じゃあ、なぜFIREしたら病んでしまうのか。

俺の結論としては、一言で言うと「幸せを感じる機会が自然と減る」から。

これはちょっと言い方が難しいんだけど、FIREをすると「人間が幸福を感じるためのイベントの数」が全部減ってしまうんだ。

「人間が幸福を感じるためのイベントの数」とは、例えば

・新しい体験をする
・成長を感じる
・達成感
・コミュニケーション
・脳への刺激
・運動量

などのこと。

こういう体験は人間が幸福度を上げるためにとても大事な要素なんだけど、FIREすると相当意識しないとこの機会が全部減ってしまう。

そして、これがかなり問題だという話。

サラリーマンは「強制的」だが、幸せを感じる機会が組み込まれている

サラリーマンは、良くも悪くも「強制的に」幸せを感じる機会が組み込まれている。

例えば、働いていたら新しい業務は飛んで来るし、成長も半ば強制的にしろと言われる。

コミュニケーションも多い少ないは職場によってあると思うけど、 どこまで行っても完全にゼロにはならない。

こんな感じで、サラリーマンの場合は「強制的」ではあるが、成長を感じたり、コミュニケーションを取ったりする機会が生活の中にすでに組み込まれている場合が多い。

だから、嫌でも生活の中に刺激があり、新しい体験がないことやコミュニケーションがないことで病むことは少ない。

FIRE後は幸せを1から自分で作らないといけない

しかし、FIREすると新しい体験や成長やコミュニケーションを「仕事以外で」自分で1から作らないといけない。

誰にも強制されない状況で新しい体験や成長を自分で作り続けないといけない。

そして、これがけっこう難しい。

例えば、「何時に起きても、何をしてても誰に怒られるわけでもない状況」で生活のリズムを保つのは実は意外と難しい。

でも、睡眠のリズムが崩れると人間は病むようにできているから、睡眠のリズムを含めた生活のリズムを完全に自分の管理下で保たないといけない。

また、新しい体験や自己成長も自分から積極的に探さないと生活に変化がないから、毎日どうにかして新しい体験や成長を感じられることを探さないといけない。

さらに運動量が減ると人間はどんどん気持ちが下向きになっていくから、運動量も自分で保たないといけない。

こんな感じで日常の中で相当いろんなことを意識して生活をしなければならず、これをサボると「FIREしたけど、気づいたら病んでいた」みたいなことがめちゃくちゃ起こってしまう。

「それでも仕事している人生よりは幸せだろ!」→実は微妙

それでも「仕事しなくていいんだから、仕事している人生よりは幸せだろ!」という意見もあると思う。

でも、実はこれもあまり期待しないほうがいい。

なぜならFIREした幸せは3ヶ月で終わるから。


たしかにFIREして3ヶ月間ぐらいはすごい幸せだと思う。

「もう会社に行かなくていいんだ!」と飛び上がるほど嬉しい気持ちになるはず。

「何時に寝てもいいし、何時に起きてもいいんだ!」みたいな感じでウキウキだと思う。

ただ、その生活もどこかで必ず飽きる。

FIREした生活が普通になる瞬間は誰でも訪れるわけで、慣れるとめちゃくちゃ飽きてしまう。

一人行動と自由がとにかく好きだった俺も1年で飽きた。

なので「仕事をやらなくていいから幸せだろ!」に対しては「それは最初の3ヶ月だけでその後は意外とそんなことないよ」ってことを言っておきたい。

FIREすると自分の存在意義がわからなくなる

そして、FIREすると襲ってくるのが「自分の存在意義がわからなくなる」という現象だ。

FIREすると、簡単に言えば「起きて、ご飯食べて、寝るだけ」の生活になる。

これを言い換えると「世の中に対して1ミリも価値提供していない日々」がずっと続くことになる。

実は、これがめちゃくちゃ精神的にも良くなかった。

簡単に言うと「自分って社会的にいる?必要?」という思いがどんどん強くなっていく。

確かに自分がやっていることは「起きて、ご飯食べて、寝る」だけで、生産しているものは、う◯こと二酸化炭素だ。

だから日に日に「俺、本当にただ存在してるだけだな。毎日う○こ製造してるだけだな」みたいな感情に少しずつ蝕まれていくようになる。

「なんか、そこらへんの虫とか草とかと全く一緒だな」と思えてくる瞬間が少しずつ出てくる。

「なんなら植物のほうが酸素作ってるから俺よりも存在価値あるな」とか考えるようになってくる。

これによって自分の存在意義がどんどんわからなくなってくるということだ。

※ちなみに今ここで言っていることは「元気に働けるのに」働いていないことについて話しています。




そもそも「自分がいてもいなくても、世の中は回っていくものだ」というのはわかっている。

わかっているんだけど、働いていないとその実感がより強くなっていった。

そして、この状態をずっと続けていると毎日「俺、この世にいてもいなくても変わらなくね?俺いる?」という気持ちがどんどん強くなって、病んでしまった。

なので、「世の中に価値提供する」ということは、実は自分の健康上も大事なことだということを伝えたい。

唯一、存在意義を感じられるのは「買い物した時」と「実家に帰った時」だけ

ちなみに唯一、自分の存在価値が感じられたのは、「買い物した時」と「実家に帰った時」だけだった。

例えば、コンビニで何か買うと自分のおかげでそのコンビニが儲かったことがわかる。

だから「消費者」として一応社会に貢献できたことになり、そのときに自分が存在している意味があると思えた。

あとは実家に帰ると一緒にご飯を食べたりするから「あ、家族は一応俺のこと大事に思ってくれてるよな」と実感できて、気持ちがちょっとマシになった。(家族LOVE)

でもまあ、唯一気持ちが楽になるのはこの時くらいだった。

今思うと、めちゃくちゃ悲しい。

「存在価値とか考えず素直に楽しめば?」→むずい

で、こういう話をすると「いや、真面目すぎ笑。もっと存在価値とか考えずに楽しめば?」という意見があると思う。

でも、これも俺には難しかった。

確かに、旅行してる時とか映画見てる時は楽しい。

でも、その時間は別に誰かを喜ばせているわけでもなければ、世の中を良くしているわけでもない。

そして、今後FIRE生活を続ける限り、自分が生きていることによる世の中の影響はほぼないという事実がずっと頭にある状態で生活することになる。

要するに「自分がこの世にいてもいなくても大して変わらない」という感情がずっと続く。

この感情が常に頭の中にあり、いつの間にか「自由であること」の楽しさよりも「自分がこの世にいてもいなくてもいいこと」の虚無感のほうが勝っていた。

なのでもし、この「自分はいてもいなくても変わらない」という感情に耐えられるなら(もしくは気にしないなら)FIREを目指してもOKだと思う。

俺は無理だった。

働きたくない人は本当に働きたくないのか?

ということで「働く」という活動は、幸せを感じるためには意外と理にかなっている行為だということがなんとなく想像できたと思う。

「働きたくないからFIREを目指す」はかなり雑な結論だということもわかったはず。

だから今、働きたくないと思ってる人は「なんで働きたくないのか?」をぜひ分析してみてほしい。

もうちょっと因数分解して考えてみてほしい。

「働きたくない」という言葉だけだとちょっとデカすぎる。

「働きたくない」の中にはかなりの要素が入っている

一言で「働きたくない」と言っても、その言葉の中にはいろんな要素が入っている。

例えば

・人間関係が嫌
・朝起きるのが嫌
・よく分からない上司に指示されるのが嫌
・家から出るのが嫌
・自由にできないのが嫌

とか。

だから、その要素を書き出して、客観的に見てみてほしい。

そうすると「わたし、働きたくないと思っていたけど、実は職場の人間関係が嫌なだけだな」とかが見えてくるはず。

それが分かれば、飲み会とか変なコミュニケーションがない職場に行けばいいだけの話。

このように「働きたくない」を因数分解して、客観視して、分析してみると「わたし、案外働くことは嫌と思ってないかも?」という発見ができることがあるのでおすすめ。

それでも働きたくない人は自分の欲が満たされているかを確認する

で、もし因数分解してみても「やっぱり自分は、働くこと自体が嫌!」っていう人は、次に「自分の欲が満たされているか?」を確認してみてほしい。

「仕事=他人に貢献する行為」だから、自分が満たされてなければ他人に貢献したいと思わないのも普通なことだ。

例えば

・ちゃんと睡眠が取れているか
・食べたいご飯は食べれているか
・やりたいことはできているか

などを確認してみるといい。

自分のことがある程度満たされれば「今度は他人が喜ぶために時間を使ってもいいかな?」と思えてくることもあるはず。

それでもそれでもやっぱり働きたくない人は今は働かなくていい

それでも「わたしはとにかく働くこと自体が嫌!」っていう人はたぶん本当に働くこと自体が嫌なんだと思う。笑

もうそれはそれでOKだと思ってる。

その人の人生だから他人がとやかく言うことではない。

例えば、ずっとゲームしているのが一番幸せな人生だと思うんであればそれをしてもらって大丈夫だと思う。(これは皮肉ではなく)

なんやかんや日本はそこまで働かなくても生きていける。

ちょっと休憩して、自分のやりたいことを思う存分楽しんでみたあとに、また考えたらいい。

もしかしたらちょっと休んだら気持ちが変わるかもしれない。

働かずに幸せを感じるのはけっこう難易度が高い

ということで今日は「FIREはみんなが思っているほど幸せではないから、あんまり幻想を抱かないようにね〜」という話をしてみた。

意外と働かずに幸せに生きることはハードルが高いことよってことが少しでも伝わればいいなと思う。

ただ、ここまで読んだ人も、おそらくFIREを目指すはず。

だって、俺も「FIREすると病む」なんてことはネットで見ていたけど「いやでも俺は違う。俺は大丈夫!」と思っていたから。

だから、一応「こういうこと言ってるやつもいたな〜」と頭の片隅に入れておいてもらえると嬉しい。

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